患者さんと問診していて、
「これは○○かもしれませんね。」
とお伝えしたところ、
「かもしれないとはなんだ!専門家ならビシッと断定せんか!」
というニュアンスでお叱りを受けたことがあります。
わかる。
痛くて不安で来てくれてるのに、「かも」とか言われたらイラッとしますよね。
「俺が昔かかってた○○先生はちょっと触っただけで断定していたぞ!最近のやつはなっとらん!」
それもわかる。
全幅の信頼をおける医療の専門家がいるのは心強いよね。
「これは○○病だから○○したら治ります。」
と言ってほしい。
でもね、患者さんのことを思えばこそ言えないし言いたくもない事情があるんです。
エビデンスの時代
「エビデンス」という言葉が2010年前後からよく使われるようになりました。
エビデンス、証拠、根拠と訳されています。
なぜこうしたか、の理由という意味での使われ方をよくします。
医療分野もご多分に漏れず、エビデンスを重視することが主流になりました。
Evidence Based Medicineの頭文字をとってEBM、日本語では根拠に基づいた医療と呼ばれます。
EBMにおけるエビデンスは主に論文ですが、最近の論文は統計学に基づいて書かれているものが多いです。
統計学。
名前からして難しそうですが結構身近に使われていて、例えば選挙速報もその1つ。
開票率5%くらいで当選確実が出るのは、「無作為に抽出したデータがある程度あれば、全体の票の割合を95%の確率で推測できる」という統計学の95%信頼区間という手法を使って小さなデータから大きなデータを予測して当選確実を導き出しています。
新薬の開発にもよく用いられていて、ランダムに2グループに分けた患者さんに、効果を試したい薬と、既存の薬や見た目だけ新薬と同じにした偽物を処方します。
この時に、「2つの薬の効果に差はない」という仮説(帰無仮説)を立て、これが成立する確率(P値)を求めます。
この確率が極端に低いとき、「2つの薬の効果に差はない」確率が低いことになり、逆説的に「新薬と既存薬、または偽薬の効果には差がある」と判断されます。
新薬の効果はこのような統計学の手法を使って検証されています。
根拠に基づいた医療
接骨院で扱うような運動器に関わる医療でも統計学に基づいた方法が取られています。
治療法が回復にどのくらい有効なのか、検査法だったらどのくらいの力でケガを見抜くのか。
こういうのを統計学の手法で検証します。
先ほどの帰無仮説の話の時にP値というのがありました。
P値が極端に低いと2つの比較対象の間に差がない確率が低くなる、ってやつです。
統計学ではこのP値が0.05以下(p<0.05)だったら有意差がある、と考えます。
0.05は5%なので、95%以上に当てはまるのならほぼ差があると言ってもいいんじゃない?という考え方です。
さっきの検査方法のケガの見抜き力に当てはめると、
「この患者さんはこのテストが陽性だから95/100の確率でこの病気じゃないかな。」
と推測します。
EBMが普及してから、私たち臨床家の立ち回りはだいぶ変化しました。
今まで当たり前に行っていた処置が実はあまり回復に寄与していなかったり、何なら逆に回復を遅らせている可能性があったりすることが分かってきました。
身体を曲げたり叩いたりして、「これ痛いですか?」みたいな整形外科テストの考え方も変わりました。
それぞれの検査が「このケガであることを特定する」検査なのか、「このケガではないと除外する」検査なのか、それぞれ何%の特定力、除外力があるのか。
検査をする時にこういう考え方をするようになりました。
統計学的な考え方を適用した検査法の代表格はOttawa Ankle Rules(OAR)だと思います。
この検査は、足首のケガが骨折なのかを見抜くテストです。
足関節の捻挫は臨床で本当によくみるケガなのですが、骨折しているのか判断に迷うことがしばしば。
これ絶対折れてるよなぁ、という腫れ方をしていても折れていなかったり、「捻挫しちゃったっス!そんなに痛くないっス!」って歩きで来院したのに折れていたり。
そんな判断に迷うとき、頼りになるのがOARです。
脛骨下端から6cm、腓骨下端から6cm、舟状骨、第五中足骨基部の4個所の圧痛が無く、自力で4歩以上歩ける場合は骨折はほぼ無い。1つでもひっかかったらレントゲン。
この検査で骨折してない判断ができる確率が、なんと驚きのの97.6%。
骨折か疑わしい捻挫でレントゲンを撮る必要が無くなってしまいました。
実際に毎年18~90万ドル医療費が減ったとか。
OARは出来過ぎですが、臨床で迷った時に統計学に基づいたデータを知っていることは本当に心強いですし、患者さんの幸せにも強く寄与するものだと思います。
「かもしれません。」と言う理由
で、冒頭のお話です。
統計学に基づいた医学は便利だしとても有用なのですが、苦手なこともあります。
統計学はデータを集めてその傾向を分析して有用なデータを導き出すのが得意ですが、答えを出すことはできません。
高い確率でこうだよ、までは教えてくれますが決して100%ではありません。
患者さんに誠実であろうとすると「これは〇〇です。」と断言したくないです。
あとは、単純に説明が難しい。
上にちらっと出た95%信頼区間を分かりやすく説明すると、「全体の中から適当にサンプルをとって95%信頼区間を求める作業を100回やったときに95回はその範囲内に全体の平均が含まれる区間」です。
ほらもう分かりづらい。
こういう理由から、患者さんに今の状態を伝えるときは「〇〇かもしれませんね。」とお伝えしています。
私はこれが一番患者さんに正確に、誠実に現在の状態を伝えられると思っています。
昔に比べて入手できる情報の質も量も圧倒的に増えましたし、世界のどこかで発表された論文をすぐに読むこともできるくらい伝達速度も速くなりました。
医療の世界もいちばん適切な対処がどんどん変化していきます。
出来るだけ正確な情報をお伝えすることも患者さんの回復にとってとても大切なことですし、私たち臨床家は新しい情報を分かりやすく伝える努力をするべきだと思っています。